松島幸太朗選手といえば、目の覚めるようなスピード、自在なステップで、
僅かなスペースを縫っていく走りではないでしょうか。
ボールを持てば、何かやってくれそうな予感のする選手です。
そんな松島選手にスポットを当ててご紹介していきます。
松島幸太朗選手ってどんな選手?
1993年 2月26日生まれ
身長 178cm
体重 88kg
出身 日本 / 埼玉県 南アフリカ共和国 / プレトリア
出身校 桐蔭学園高校
所属チーム 東京サントリー サンゴリアス
ポジション ウイング(WG), フルバック(FB)、センター(CTB)
松島幸太朗選手は結婚している?子供は?
松島幸太朗選手は、2021年12月に、結婚と第一子誕生の発表をされています。
お相手は、同い年の一般女性のようです。
松島選手は、2019年ラグビーワールドカップ 日本大会で大活躍します。
2020年からフランスの1部リーグ クレルモンでプレーしています。
この間に結婚され、奥さんは日本に帰国し出産をされました。
2年の契約を満了し、一旦の区切りをつけ松島選手は、日本に戻ってこられました。
まだお子さんも小さいので、慣れ親しんだ日本で生活するほうが、子育てもしやすい
かもしれませんね。
松島幸太朗選手の両親と生い立ちは?
松島幸太朗選手の父はアフリカ ジンバブエ人、母は日本人のハーフです。
父親のロドリックさんは南アフリカ共和国の隣国のジンバブエ出身です。
ロドリックさんの職業は新聞記者で、松島選手の幼少期は南アフリカで過ごされます。
松島選手が6歳の時に、日本に来日します。
7年後にロドリックさんは、単身南アフリカに戻っています。
母親の多恵子さんはNGOの職員として南アフリカ渡り、アパルトヘイトなどの人権問題について
取り組まれていました。
アパルトヘイト政策は南アフリカの人種隔離と差別の問題で1948年〜1990年まで
実施されてきました。
ロドリックさんは、アパルトヘイトにも深い関心をもって取り組まれており、
差別廃止の世界会議のシンポジウムで、登壇するなどの経験もあるそうです。
このような背景で、ご両親は出会われたのかもしれないですね。
小学生時代の松島選手は、サッカーを始めます。
中学1年生の時に父のいる南アフリカに1年間留学をしました。
ラグビーとはこの時に出会います。
この時はラグビーが楽しくて、夢中になって練習したそうです。
友人とコミュニケーションを取る手段として、ラグビーが役立ったのかも知れないですね。
当時の松島選手も、走力は抜群だったことでしょう。
帰国してからも、ラグビーを続けています。
通っていた中学にはラグビー部がなかったようで、”早稲田クラブ”というチームで、
汗を流したようですね。
高校へはラグビーの名門である桐蔭学園高校へ進学します。
松島選手の在学中は3年連続で花園へ出場を果たしています。
3年生の時には、決勝戦で東福岡高校と同点優勝をしました。
花園での同点優勝の事例は過去に2度あり、3例目の両校優勝でした。
松島幸太朗選手の父 突然死の理由が!
松島幸太朗選手の父、ロドリックさんは47歳の時に他界しました。
松島選手が高校2年生の時のことです。
死因は心臓の病気とされています。
現地のメディアでは、”ジャーナリストの謎の死”という事で報道されたとしています。
ロドリックさんの仕事柄、権力者にとって不都合な情報を持っていて、
権力者による報復、隠蔽工作のために、命を狙われた。
病死なのは不自然だったのかもしれないですね。
ロドリックさんは自宅アパートで、死後3日経過し、発見されたそうです。
留学で中学1年生の冬の時期から1年間、お父さんのロドリックさんと過ごせた事が、
松下選手にとって、お父さんを思い出せるページが増えたことが良かったと思います。
少年 松島幸太朗に与えられた試練は、花園で優勝したことで、父との心の対話より
克服されたのだと感じました。
松島幸太朗選手の高校卒業後の進路は?
花園で活躍した選手は、大抵の場合は大学へ進学するのがほとんどだと思います。
松島幸太朗選手においては、大学側からのお誘いもあったものだと思います。
ですが、南アフリカのラグビー養成アカデミー ”シャークス”で武者修行に出ます。
在籍期間中に南アフリカのU20代表に選出されますが、自分は日本代表としてプレーすること
を希望し、これを辞退しています。
2014年 松島選手は、サントリーサンゴリアスに加入します。
同年、初の日本代表に選出されます。
2015年 オーストラリアのスーパーラグビーのチーム ”ニューサウスウェールズ・ワラターズ”に期限付きで加入。
同年のラグビーワールドカップで、南アフリカを破る快挙を成し遂げます。
この戦いで日本は、ラグビー史上で世紀の大番狂わせをした。
と日本はもとより、世界でも話題をさらっていきました。
松島選手も、南アフリカ戦でフル出場を果たし、日本の勝利に大いに貢献しました。
2016年 オーストラリアのスーパーラグビーのチーム”メルボルン・レベルズ”に加入。
スーパーラグビーの強豪チームと対戦することで、世界で通用する一流プレイヤーになるために、
自ら追い込んでいるのが分かりますね。
同年、12月 日本のスーパーラグビーのチームである ”サンウルブズ”の代表に選出されます。
2019年 ラグビーワールドカップ日本大会の代表に選出。
本大会の開幕戦 ロシアとの対戦において、ワールドカップで松島選手がハットトリックを挙げる
快挙をなし、勝利に貢献する。
日本の戦い振りを見て、日本中が大いに盛り上がり、素晴らしい大会なったのは、
記憶に焼き付いている人も多いのではないでしょうか。
2020年 フランスの1部リーグ ASMクレルモンへ移籍、2年の契約を満了する。
更新はせずサントリーに復帰。
フランスで移籍期間中に、結婚したことや父親になったことをSNSを通じ報告されていますね。
松島幸太朗選手スピードの秘訣!アスリートの交友
松島幸太朗選手の魅力の一つにスピードは欠かせません。
ひと度松島選手にボールが渡ると、緩急自在にゲームが展開します。
スピードコントロールが上手くて軽やかです。
松島選手はスパイクはサッカーシューズを採用しているようです。
バックスなのでゲームの大半は、ラン中心のワークです。
従って、足に負担の少ないサッカーシューズを使っています。
ハットトリックを挙げたゲームもサッカーシューズを使用しています。
サッカーシューズを履くと足が速くなる。
という訳ではないですが、速く走るための課題を自らが見つけ、克服し、その努力の結果です。
そして、その努力はまだまだ続いているのです。
その証拠に、機会があれば海外の強豪チームに挑戦したい意志を語っています。
常にチャレンジャーなんですね。
ボクシングの世界チャンピオンである井上尚弥選手も、松島選手と交流があり、お互いの試合を観戦するような間柄です。
井上尚弥選手は、松島選手の走るスピードの速さに驚き、インスピレーションを受け、
松島選手も井上尚弥選手のファイトや、集中力など参考にしています。
アスリート同士で自身を動機づけて、より高め合っているように思いますね。
松島幸太朗選手のさらなる飛躍に、これからも目が離せませんね!
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