2019年、ラグビーワールドカップ日本代表であった堀江翔太選手は、
怪我を抱えつつの出場ながら大いに貢献する活躍でした。
普段は、柔和なイメージの堀江選手。
最近のヘアスタイルには秘密があるようです。
一体どんな秘密なのかプロフィールを交え紹介していきたいと思います。
堀江翔太選手のプロフィールは?
1986年 1月21日生まれ
身長 180cm
体重 105kg
血液型 A型
出身 大阪府 吹田市
出身校 大阪府立島本高等学校 、 帝京大学
所属チーム パナソニック ワイルドナイツ
ポジション フッカー(HO)
堀江翔太選手の結婚相手(妻)、子供は?
2012年、堀江翔太選手は小学校からの幼馴染の由加里さんと結婚されました。
当時、堀江選手が26歳の時ですね。
中学校までは大阪の吹田市の地元の学校に通っていいました。
小学校の同窓生と結婚されるなんて、お互いの事がよくわかっていて、
学生時代の昔話でも共通感ありより具体感があって話が花開きそうですよね。
お子さんは女の子が二人だと言うことです。
堀江選手も奥さんも笑顔がとても素敵なご夫婦です。
二人の娘さんと共に、笑顔溢れる家庭なのではと推察されますね。
堀江翔太選手の学生時代は?
堀江選手は幼稚園の頃から小4まではサッカー少年だったようですね。
プロを夢見てプレーしましたが、周囲と馴染めずに退団しました。
ラグビーは5年生から始め、6年生にして身長175cm、体重77kgとBIGな体格に恵まれ、
堀江選手にボールが渡れば得点になるというような存在だったようです。
味方には心強いですね。
中学校ではラグビー部がなくて、バスケットボール部に入りました。
バスケットでも1年生からレギュラーで頭角をあらわしていました。
ですがラグビーの情熱は冷めていなく、夜の公園で練習をすることもあったそうです。
堀江選手の生き様がうかがえるエピソードで、とてもかっこいいなと思いました。
高校は公立高校の島本高等学校に進学します。
3年生の冬の大会では、大阪予選大会の決勝まで駒を進めるチームに上り詰めました。
相当な頑張りがあったんだろうなと伺える記録ですね。
大学は帝京大学へ進学し、主将も努めチームを牽引しました。
大学卒業後の堀江翔太選手歩みは?
大学卒業後は、海外に出ます。
ニュージーランドに渡り、クラブチームでプレーします。
帰国後は三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック)に所属します。
2009年に日本代表として、カナダとテストマッチで初キャップを飾ります。
2010年 トップリーグのMVPに選出
2011年 W杯 ラグビーワールドカップ2011の日本代表に選ばれる。
2013年 スーパーラグビーのメルボルン・レベルズに入団
2014年 パナソニック ワイルドナイツで主将を努め、トップリーグと日本選手権で共に優勝
2015年 首の手術を受ける w杯2015の日本代表に選ばれる。
2016年 スーパーラグビー サンウルブズの初代キャプテンを務める
2019年 w杯2019日本大会の代表に選ばれる。
2022年 パナソニックワイルドナイツが、リーグワンの初代チャンピオンになる。
2022年のMVPとプレイヤー・オブ・ザ・シーズンを受賞する
堀江翔太選手 怪我からの復帰!
堀江選手いわく”打ち身、打撲は怪我ではない”。
確かにラグビー選手は、手足にテーピングを巻いて出場しているのをよく見かけます。
そんな堀江選手は過去に、手術を行うような大きな怪我をしています。
ですが、常人ではありえないようなスピードで試合復帰をはたし、結果を収めてきました。
普通なら、手術でメスも入ったし、手足の感覚も万全ではない、
だからもう少し回復を待ってからにしよう。
と、多くは思うのではないでしょうか。
練習ならセーブしながらできるし、チームメイトも事情を知っているので加減もできる。
しかし、試合となると話は違ってきます。
試合に出るのは ”怖い” 、”更に悪化してしまわないか” などと思ってしまいます。
堀江選手は、コンディションが整った状態ではない中で、
心理的恐怖を克服できるメンタルが並外れています。
長年の試合や練習で頚椎椎間板ヘルニアと診断され、2015年 2月に手術を受けます。
痛みに耐え、壮絶なリハビリ生活を乗り越えて、手術後3ヶ月で練習復帰し、
その2ヶ月後には実践試合に復帰されました。
高いモチベーションを何年も維持し、プレーしている勇姿は多くの人に影響を
与えているのではないでしょうか。
堀江翔太選手の引退について?
堀江翔太選手は、過去の自身のインタビューでこのように言及しています。
「自らの引き際はあと数年だろう。」
2022年、リーグワンで初代チャンピオンを獲得したパナソニック ワイルドナイツ。
同チームに所属する堀江選手は、MVPに選ばれました。
この時に「僕が若い頃は35歳、36歳は引退するような年齢だったし、
薄っすらとそういうイメージがあった。
それが36歳でこのような賞が取れたというのは非常に価値があるのではないかと思います。」
堀江選手の言葉を察するに、引退は視野には入っている。
自分の自信を打ち壊してくれるような若武者が現れるのが先か、
又は自身の体力が尽きるのが先か?。
おそらくチームは基より、日本代表メンバーとして次世代のメンバーが育って来るまで、
やり切る覚悟でいるのではと感じています。
堀江選手が登板するとチームに活力でるので、非常に存在力が大きな選手ですね。
堀江翔太選手の髪型(ドレッドヘア)の理由
堀江翔太選手の髪型は個性的でドレッドヘアです。
昔は短髪だったのですが、徐々に髪型が変化していきます。
堀江選手のポジションはフッカーでスクラムを組む時は最前列の真ん中です。
最前列は相手チームと接触します。
その際に、このドレッドヘアーが相手チームの顔をタワシのようにギシギシと擦り嫌がっていると、
判明したそうです。
もしかすると髪の太さや硬さなどヘアースタイルを微調整しているのかもしれませんね。
これからの堀江翔太の活躍とヘアースタイルにも注視していきたいですね。
コメント